|
●No,32
今の自分に満足出来ないことと「謙虚であること」の違い
|
|
世の中には、中々自分に満足出来ない人って結構いるのではないでしょうか?
「自分に満足出来ない」と思っている人は、いつまでも満足できないものです。 何故なら、そういう人は、未来に対して「希望」を見ていないからです。 つまり、「こんな程度じゃ満足出来ない」のであって、決して「より大きな理想から見て、今の自分はまだまだである」といった謙虚な心から出てきている訳ではないのです。 もし、謙虚な人であれば「まだまだ」といった気持ちは向上心へと向かうものです。 勿論、ある意味において「満足していない」事は事実でしょう。 しかし、常に希望に向かっているのであって、苦しんではいない筈です。 私がここで扱っている「満足出来ない人たち」というのは、満足出来ないことに「苦しんでいる人たち」のことなんです。 そうなんです。 決して満足出来ないため、常に苦しいんです。 では、何故満足出来ないことが苦しいのでしょうか? そして、逆に何故、謙虚な人は満足出来ないことが苦しくないのでしょうか? 謙虚な人というのは、決して「腰が低いだけの人」のことを言っているのではありません。 そういった人たちは、先程も述べましたが、未来に対し、希望があり、目標が高く、そして明確なビジョンを掲げています。 ですから、そういった未来のビジョン、或いは「理想」に対して、今の自分はどの程度まで来ているのかを認識しています。 そして、今の自分に、取り敢えず満足はしているはずです。 なぜ「取り敢えず」なのかというと、ずっとこのままでいいとは考えていないけど「今の自分を認めてあげよう」「現時点での自分の実力を認めよう」という気持ちでいるからなのです。 ですから、(ずっと今のままであれば)満足出来ないが、(今だけに限って言えば)満足はしているという事なんです。 明るいビジョン、具体的な理想像を持っていれば、少しの努力も認めることが出来、小さな達成感を味わう事も可能であり、それが大きな成功へと発展していくのです。 しかし、常に不満を感じている人は、どこまでいっても不満なのです。 なぜなら、具体的なビジョンと今の自分が結びついてなく、どこまでいったら満足なのかが分っていないからです。 もし「ここまで来たら満足」といったラインがあるのなら、そこに向かっている自分を、つまりそこに向かって努力している自分は明るく、積極的な筈です。 であるならば、「とにかく満足出来ない」といった状態はあり得ないんです。 ですから、理想という名の具体的なビジョンを掲げ、そこに向かって淡々と歩み、少しの努力でも自分を褒め、更に進もうと励ますことで「不満に苦しむ自分」とは、さよなら出来るのです。 |
|
●No,31
真に没頭するということは冷静であるということ
|
|
私が「感情のチェック」を勧めている理由は、(自分の僅かな感情を捉えるレベルまで)客観的な目を養うためであり、自分の感情をコントロールすることが出来るようになるためです。
そうなれば、自然と「自分を冷静に観察しているもうひとりの自分」が現れます。 そういう状態で演技に没頭した場合、客観視している自分は当然冷静に集中している訳です。 つまり、集中している状態とは「至って冷静な状態」である訳なんです。 レッスンでも、生徒達がよく誤解しているところが、ここのところなんです。 演じる時など、最初から客観的になろうとして自分の状態を常に「こうかな?こんな感じでいいかな?」といった具合に、外側から確認するかのように集中を始めるので、どうしても「冷めた役者がそこにいる」ようにしか見えないんです。 しかし、私が「冷静に」と言っているのは、ただ単に「冷めなさい」ということではなく「没頭している状態を捉えている自分が必要だ」と言っているんです。 ですから、没頭する事が大切なんです。 しかし、「没頭する」というと、今度はまた「気合」や「力」を入れることのように捉える人が出て来るのですが、これも違います。 集中とは、あくまでも「淡々と」行なうことなんです。 演技でいうと「淡々と五感で捉えていることに集中する」ことなんです。 そうすることで「没頭している状態」、キャラクターの世界に「没入する」ことが出来るのです。 そして、没入して初めて客観視する自分が現れるのです。 ですから、最初からそれを意識してはならないんです。 というか、意識できない筈なんです。 そうすれば、寧ろ没頭出来なくなってしまいます。 人目を気にしている事と、自分を冷静に見る事を混同してはいけません。 もし最初から客観的な自分を意識して、想像の世界に自分をつれて行こうとした場合、どうしても「出来ているかどうか」の確認をしてしまうんです。 というのも、そもそも客観的な自分が初めからいる事自体が問題なんです。 客観的な自分がいるということは、自分で自分のやる事を最初から捉えておきたい、知っていたい、確認したい、といった所謂「他人からどう見えるか」を気にしているのと同じ状態になっている訳です。 そうなると当然、外側からどう見えるかを気にしながら、自分をコントロールしてしまうので、没入出来なくなってしまうのです。 更に問題なのは、このように没入出来ない自分を、「つもり」で演じている自分を「出来ている」と勘違いしてしまっていることです。 この状態で演じる事を「リザルト(result=結果、効果)演技」と言います。 リザルト演技、つまり効果を狙った演技というのは「説明しているように分かりやすい演技」であって、内面に感情があるなしに重点を置いていない演技のことです。 顔や身振りなど、「外側」だけでしか演技していないんじゃないかと思える役者って・・・いますよね? ・・・プロでも。 だから私は言いたいんです。 「感情のチェック」や「メソード演技」など、しっかりした方法論に則った演技の勉強は必要だと! |
|
●No,30
役者個人の問題が役作りに与える影響
|
|
レッスンでのことです。
彼(生徒A)は昔、付き合っていた彼女の事を、既に好きではなくなっているにも関わらず、好きだと思われるような態度をとったり、言ったりしていました。 その頃の自分のことを「ひどい奴」と、Aさん自身は言っていました。 Aさんが今レッスン(基本クラス)で行なっている「11の課題」は「キャラクターの電話」です。 相手に対して、一番言いたいが絶対言いたくないといった矛盾する感情を持った「言葉」を見付け「電話」で相手にぶつけるのです。 この「言葉」を「墓場まで持っていく言葉」とも表現しています。 なぜなら、とっても言いたい衝動があるという事は、ずっと抱えているということになる訳ですが、その言葉は相手と自分の関係を考えるととても言えない内容なので本来は(現実では)結果的に言えないで終わってしまうような言葉だからです。 ・・・忘れる事も出来ず、死ぬまで抱えているという事ですね。 しかし、今回は「キャラクター」です。 自分自身ではないので、実在の人物を扱っているとはいえ想像の世界ということになります。 しかし、だからと言って簡単な訳でもないんです。 ・・・いろいろな意味で。 Aさんは、この「キャラクターの電話」の前の課題である「キャラクターのプライベート・モーメント」で、まずキャラクターに俳優のY氏を選び、そして、「プライベート・モーメント」の場面に、分かれた妻が手紙一枚置いて出て行った後の家に帰って来た直後、というのを設定しました。 で、続く「キャラクターの電話」で、出て行った妻に電話をすることにしました。 ここで、ある問題が浮上したのです。 Aさんが考えるキャラクターは、電話で妻に対して責める言葉を発すると考えていたところ、どうしても言えないのです。 思いはあるのにです。 しかし何故か、責める言葉を発しようとすると「彼女だけが悪い訳ではないだろ。お前にも非があるだろ?」といった思いが出てくるというのです。 そして見えてきたことは、冒頭に述べたAさんの、昔付き合っていた彼女のことが原因だということです。 Aさんは、過去の自分のことを「ひどい奴だ」とは思っているのですが、心の底からそうは思っていないのです。 というか、思いたくないのです。 いい人間だと思いたいから。そして、思われたいから。 実は、Aさんは「リラクゼーション2」で、この事を扱っているのですが、その中で、彼女に対して、当時、本当に言いたかった言葉を見付けられていないんです。 何故かというと、見付けてしまったら、「やっぱり本当に俺はひどい奴だったんだ」ということを「実感」させられてしまうからなんです。 「リラクゼーション2」では、言葉を相手にぶつけなければならないから・・・。 その所為で、「キャラクターの電話」では、キャラクターが電話の相手である妻に対して、責める言葉を吐こうしているのに「ひどい人だと思われたくない」「いい人だと思われたいし、自分でもそう思っていたい自分」が邪魔してしまうんです。 こういった事例でも分るように、自分自身(役者自身)が過去の様々な問題をクリアして、透明になっていかないとキャラクターへの移行に支障が出ていしまうという事です。 多くの役者さんが、一日も早く「楽器(心身)の開放」と共に「感情を安定される」ことを心より祈る次第です。 |



minorin(08/03)
瀧(01/09)
sayuri(01/07)