●No,29

感情をチェックすることの難しさ 〜自己責任の原則

私は若い頃、とても感情的でした。



今の自分が振り返ってみても嫌になるほど、感情的な人間でした。


しかし、当時私はその感情を何とかする事は考えず、ひたすらそんな自分を正当化していたのです。



人から理解して欲しいという思いが強く、常に人に対して「求める気持ち」が強かったのだと思います。

そして、求める気持ちを満足させてもらえることがないために苦しんでいたのです。



しかしそんな心の状態が、自分の意思でどうにかなるなどとは考えてもいませんでした。




「感情のチェック」を始めるまでは・・・。



というより、自分の理性の働きに気付くまでは。





「感情のチェック」・・・


そうなんです!


「今の感情を何とかしたい」と思ったからこそ出て来た発想なんです!




そして、以外にも「感情のチェック」は、奥が深かったんです。


つまり、ある「方程式」のようなものをひとつ作ったとしても、そのまんまは他の出来事では通用しないのです。

もちろん、基本が理解出来ていれば、後は「応用」すればいいでしょう、ということになるのは分っていますが、この「応用」が数学のようにはいかないんです。






やはり感情の問題となると、人は冷静ではいられないんですね。


どうしても、どこかで「自分は悪くない」といった気持ちで感情をチェックするもんだから、肝心なところが見えて来なくなるんですね。






重要なところは、「早く脱したい!」と思っている感情をチェックする際、間違ってもしていけないのは、「他人や環境の所為にすること」です。

寧ろ「自分」に原因を求める方向で考えることが大切です。





これを「自己責任の原則」と言います。





つまり・・・

そもそも、「一刻も早く脱け出したい感情」は他人のものではありません。


あたりまえです。


つまり・・・

「一刻も早く脱け出したい感情」が自分のものであるなら、その原因は「自分」にあるのです。



え?分らない?



では、更に詳しく説明します。





私が言っているのは、「原因と結果」の流れなんです。


例えば、コスモスの花を咲かせたかったら、コスモスの種を土に植えますよね?

間違っても、アサガオの種を植えたりはしないですよね?


つまり、「結果」は「コスモスの花が咲く」で、その「原因」は「コスモスの種を蒔く」です。




ということは、「ある感情が動いた」のは「感情を動かす原因が自分にある」ということなんです。



実は、ここでよーく間違える人がいるんです。


「ある感情が動いたのは、あいつが言った言葉が原因だ!」


といった具合に。


確かに、ある意味で原因です。



しかし、あくまでも「直接原因」であって、つまり、「感情が動くきっかけ」であって、「感情が動いた原因」ではないんです。






分りやすく言うと、例えば「太ってる」という言葉を誰かに言うとします。

もし、その言葉をダイエットしなきゃと思っている人に言ったら、きっとショックを受けるでしょうね。



でも、中には「太っている事が幸せ」だと思っている人もいます。

その人にとっては「太っている」という言葉は、安心できる言葉になります。



つまり、「感情そのものの原因」は直接原因である「太っている」といった言葉そのものではなく、「太っているという言葉を気にしている自分」なのだという事なんです。





ですから、何故気にしているのか?といったところから探っていけばいいんです。






原因は・・・少なくとも「自分の感情が揺れた原因」は「自分」にあるんです。






ここんところを理解しないと、「感情のチェック」は間違った方向に行ってしまいます。




【2008/01/26 23:39】
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●No,28

「感情のチェック」〜キャラクターへ

「感情のチェック」からどういった経路を辿ってキャラクターに到達するのかを述べます。




まず最初に簡単に流れを説明します。



まず、自分の感情をチェック(をベースにレッスンに参加)することによって、「自分の傾向性」が見えて来ます。



これはつまり、自分の心の奥にある「欲求」あるいは「必要としているもの」を発見することになります。(と言ってもまだ自我があります)




この時点で、自分のあらゆる言動や行動、反応がこの「欲求」あるいは「必要としているもの」が原因となっていることが確認できます。





この状態になった役者が、あるキャラクターを演じる場合(勿論、純粋にそのキャラを演じたいといった欲求があることが前提ですが)

そのキャラクターがどんな場面で何をしたがっているのかを理解すれば、

つまり、キャラクターの「欲求」や「状態」、単に「感情」と言ってもいいですが、

それらを理解する事が出来たなら、後は自分の中から、キャラクターのその状態に近いものを「自分の経験」から探し出し、それをキャラクターとして「感覚のみ」使えばいいのです。







・・・・・・やっぱり、文章では伝えられそうもないですねぇ。






実は、撮影を控えた生徒の仕事のアドバイスもしているのですが、如何に集中する事を「明確」にし、更に「シンプル」にするか、そして五感を使えているかが重要だということを改めて痛感しています。


でも、それを文章には、・・・中々出来ないですね。





うん・・・難しいです。




レッスンは、「百聞は一見に如かず」というか「一体験に如かず」と考えて頂けるとありがたいですね。






レッスン内容は、稽古場で知って頂くとして、次回からは改めて「感情」について踏み込んでいきましょう。


【2008/01/23 23:05】
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●No,27

演技に於ける「集中」と「準備」について

「集中」と「準備」についてお話したいと思います。


よく「集中が続かなかった」とか「集中が途切れた」などと言いますが、演技中に於ける集中とはいったい何でしょうか?


「相手の声」でしょうか?
「自分の感情」でしょうか?
それとも「自分が言うべきセリフ」でしょうか?


確かに、どれも無視は出来ません。

「相手の声」を聞かないと自分は反応出来ませんし、「自分の感情」が必要なだけ来ているかどうかは重要ですし、「自分のセリフ」を聞く様にしなければ、表現に繋がらない可能性が出てきます。(もっとも、即興の場合は別ですが)



演技中に気にしなければならない事は色々ありますが、敢えて「集中」する対象と考えるなら、それは「具体的なもの」です。

つまり、「五感」で捉えられるものであり、シンプルなものです。複雑なものだと集中が定まらなかったりし、五感による実感が伴わないことになり兼ねないからです。



では、次に「具体的な集中」について詳しく述べていきたいと思います。例えば、“単身赴任した妻子ある男性が、妻子を残して、初めて行く土地でアパートに着いて、家族に電話を掛ける”といった設定のシーンを演じるとします。

そしてセリフも決まっているとします。(即興ではないという意味)




こういう場合、事前に準備しておく事と、演技中に集中する事とは違うんです。




準備する内容は、台本に書かれている内容を元に作る人物の背景です。

つまり、その場所にいる理由だったり、家族との関係だったりします。



ちなみに、「家族」というのは「関係」というには大雑把過ぎます。

「関係」とは、自分(キャラクター)が相手の事をどう思っているのか、そして相手は自分のことをどう思っていると、自分は思っているのかという事を言います。


こういった「関係」や単身赴任自体をどう思っているのか、そして赴任先の土地の事をどう感じているのかという事を具体的にしていきます。

そして具体的にした背景を五感で作っていく、といった作業が準備です。



そして演じながら実感が持てないなと感じるところがあったら、その部分を更に作っていくんです。

そうする事で準備が整っていきます。




ただ、背景を作る段階でとても重要なことがあります。



背景を五感で作る訳ですから、当然感情が引き出されます。

つまり、何らかの「感情的な」動きが内面に起きて初めて「準備が整った」と言えるのです。



そして、演じる時に集中することは「準備したこと」を全く意識せずに、具体的にその場で「見えるもの」「聞こえる音」「触れるもの」など五感を通して得られる存在に対してのみ行ないます。

又は、何かを考えていたり、思い出している場合は、考えている内容や思い出している事柄の中の具体的な対象に対して五感で捉え、集中していく事になります。



その結果、事前に準備したものが、必要に応じて(感情として)引き出されていくのです。


【2008/01/19 23:55】
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●No,26

想像力を磨くための「欲求」

「スタジオTAKIメソード」で行なっている「11の課題」は、ホームページでも言ってますが、あくまでも私の解釈で指導しています。

その大きな特徴は、役者が内面の奥にもっている「必要としているもの(need)」、或いは「欲求(want)」の捉え方です。


「必要としているもの(need)」、或いは「欲求(want)」(以降「欲求」)とは、人間が生きていく途上で様々な出来事に遭遇した際に表れる反応、つまり言動や行動の元となるもののことを言います。

また、生きていく上での「目的」でもあります。





私の考えとして、人間(役者)が、「欲求」を発見する時は、「成る程!私ってそうだったのか!」と、自分の事であるにも関わらず大喜びしてしまうほどのことなのですが、それには大きく分けて2段階あります。



最初の段階では、例え自分の心の最深部にあると思われる「欲求」だと思っていても、その殆んどが「自我」から来ています。

しかし、実はその「自我から来る欲求」の更に奥に(次の段階として)「純粋な欲求」が存在しているのです。



ただ、これを実感として掴むのは至難の業です。




どれほど優れた、つまり一流と呼ばれている役者であっても、やはりこの「自我」を完全には捨て去っていないと感じます。




もし、「自我なる欲求」ではなく「無我なる欲求」を掴むことが出来たなら、その役者は、どのキャラクターも自分の中に「すんなりと」見つけることが出来るでしょう。

つまり、それ程難しい事だということです。「スタジオTAKIメソード」のレッスンでは、「11の課題」だけではなく、日頃から「感情のチェック」をする事を勧めていますが、それは、より自分を深く知る事であり、それが役者(人間)としての器を大きくするものだからなんです。



キャラクターを演じる事は、つまり「自分の中の、別の自分」であり、それを信じる事が出来たなら、キャラクターを演じる事は、それほど難しくないと言ってもいいでしょう。


ですから、「センソリー」のような技術を磨くのは当然、演技の勉強としては必要ですが、想像力を磨く事を疎かにしてはいけません。

「想像力を磨く」とは、あらゆる人物を自分の中に見付けることであり、その世界を「体験したい」といった欲求を持っていることを言います。



実は、「メソード演技」には見当たらない考え方が

「無我なる欲求」を発見するための「感情のチェック」

そして、それをベースに考えた「リラクゼーション2」「TAKIメソード式・11の課題」

なのです。




これらの訓練により、自らの内面に様々なキャラクターを発見する事が出来るのです。

つまり、様々な「想像の世界」を作り出すことが出来るのです。





【2008/01/17 23:50】
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●No,25

「理性」の一般的な認識

今回は、「理性」について語っていきたいと思います。



人は「理性」をどのように理解しているのでしょうか?


よく酔っ払った時に、「理性を失った。」だとか「理性が麻痺する。」といった表現をしますが、その時に使っている「理性」とは何だと思っているのでしょうか?





「理性を失った」状態とは「感情的な」状態と言うことだとみなさんは思いますか?


ちなみに、わたしは、そう思います。




もし経験のある方は思い出して欲しいのですが、皆さんがお酒を飲みに行った時にやたらと饒舌になる人はいなかったでしょうか?

そして、その人は妙に理路整然とした事を言ったりしてはいなかったでしょうか?




よく「論理的な」思考のできる人を理性的と言ったりしますが、必ずしもそうだとは限らないのです。

それは、先程の饒舌な酔っ払いの話でも分かるように、理性が弱くなっている状態でも論理的な思考はできるのです。




ただし、この場合、論理的ではありますが、酔っ払っているため感情的に話しているはずです。

つまり、自分に都合の良いことを言ったり、心底思ってもいないのに機嫌取りのような事をいったりしていることが多いでしょう。




もし、そのような内容でなくても、少なくとも主観による発言であることは間違いありません。





実は「理性」というのは「客観的な視点」の事を意味するんです。

どんなに理屈を捏ね繰り回して、人や環境のせいにして自分は全く悪くはないんだと言ったとしても、その「論理」が感情的な所から出ていれば、それは全く理性的ではないのです。


このように言うと誰もが、当然だと思うのですが、意外とこれが分かっていない事が多いのです。




特に、自分は良いことをしていると(自分では)思っている時に案外気づかない事が多いのです。

何故なら、「良いこと」=「幸福」という図式が出来上がっているので、それ以上深く考えないで行動する人がいるという事なのです。


【2008/01/16 22:57】
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●No,23

映画「ミッドナイト・エクスプレス」

今回は、映画の話題です。


「ミッドナイト・エクスプレス」です。


私の大好きな映画で、今でも「ベスト1」です。




この映画は1978年の映画で、実話(原作があります)を元にしています。

トルコのイスタンブールに旅行中のアメリカ人青年が「ハシシ」を隠し持ってたのを、出国する際に見付かってしまい、投獄されるのです。

そして、裁判で4年(5年だったかな?)の判決が下されるのですが・・・。



といった内容で、とても面白いです。

監督・・・アラン・パーカー
脚色・・・オリバー・ストーン
音楽・・・ジョルジォ・モロダー

ここまでの3人でも、内容の濃さを感じますよね。


そして、出演は

ブラッド・デイビス
ジョン・ハート
ランディ・クエイド

です。


この映画でオリバー・ストーンは「第51回 アカデミーオリジナル脚色賞」を受賞しました。


ま、アカデミー賞を受賞したかどうかは別にしても、確かに脚本は素晴らしく、話の運びも演出も素晴らしいです。

それに音楽は、こちらもアカデミー作曲賞を受賞したから言う訳ではありませんが、とっても良い曲なんです。



しかし、何と言っても凄いのは、「原作者」でもあり、主人公でもある「ウィリアム・ヘイズ氏」の「真実の物語」というところなんです。

観れば分りますが、いやっ、ほんっっっっとにこんな事経験したんだ!

と思ってしまいます。



DVDなら、レンタルでもメイキング映像が特典として、収録されているので、こちらも興味深いですよ。



そして、「メイキング・ドキュメンタリー」の中でも出てますが、この映画がカンヌ映画祭で上映された後、アメリカとトルコ政府が動いたんです。

これだけでも一見の価値有りでしょ。




もし、まだ観てない人がいらっしゃるなら、是非お薦めします。

ただ・・・ドキドキする映画が苦手な人はやめたほうがいいかも知れません。


でも、実話ですからねぇ・・・。

観て欲しいです・・・。

【2008/01/12 23:57】
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●No,22

なぜ「センソリー」が重要なのか

前回は「センソリー」について述べました。


今回は、「センソリー」による五感の訓練が如何に重要かを付け加えたいと思います。


人は日常生活で、様々な物が当然の如く存在しているため、自分がどんな物からどのような影響を受けているかに意外と気付いていないものです。


ですから、五感を通して自分に届くあらゆる存在に対してオープンにならなければ、いざ想像の世界に入ろうとしても、なにも感じられないという事になってしまうのです。



しかし、「センソリー」によって五感を鍛えると、目に入ってくるもの、聞こえてくる音、何かに触れた時の肌触り、口の中で味わう甘さや辛さ、そして鼻の奥で感じる様々な香りが、今までと違って意識できるようになるんです。



そもそも、人は日常生活の中で見たり聞いたりしている事は全て本物なので、本当に存在するのかを確認するためにわざわざ見ようとしたり、聞こうとしたりはしませんよね?

もっとも、必死な時はそれなりに一生懸命五感を働かせてはいるでしょうけど、日頃からそうしている人はいないと思います。




しかし、ここが重要なんです。




今自分が必要としているものもそうでないものも、そこに存在している以上は全てのものが目に入りますが、その中でも、自分にとって必要なものは意識出来ますが、そうでないものは、時には完全に忘れている事さえあります。


つまり、人間は意識している対象だけを捉えている事になるんです。

例え、その目で見、その耳で聞いたとしても、必要としていたのでなければそれは「見た」のではなく「見えていた」のであり、「聞いた」のではなく「聞こえていた」に過ぎないのです。




しかも、自分が必要だと思って、見たり聞いたりしている事も、実際に存在するため、ことさら意識して見たり聞いたりしようとはしていません。

だからこそ、ただ見えているものの中で、見ようとしているものを「意識して」捉えることが重要になって来るのです。




ですから、想像の世界に登場する存在は、セットとして或いは小道具として存在していてもいなくても、自分が意識できている存在だけが、「想像の世界にある真実の存在」なんです。


つまり、人は普段、自分が意識している世界に住んでいるという事なんです。


ただ、物理的には全ての人が同じ条件下で生活しているので気付かないだけだと言う事です。





この考え方で「センソリー」を考えると、自分が再現する対象を意識出来た分だけ、自分は信じることが出来、自分の中には「再現した対象からくる反応」が起こるという訳です。


簡単に言ってしまいましたが、この「自分が再現する対象を意識出来た分だけ」が難しいのです。

というか、時間が掛かるのです。





「再現する力」とは、つまり「想像力」ということであり、それは、「自分の意識を捉え、自由に扱う技術」なんです。


これを磨く方法が、「スタジオTAKIメソード」の「センソリー(五感の記憶)」なんです。

【2008/01/11 23:00】
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●No,21

「センソリー(五感の記憶)」で五感を鍛える

今回は、「五感を鍛え方」について述べていきたいと思います。


私の主宰する「スタジオTAKIメソード」では、「センソリー(五感の記憶)」というレッスンで五感を鍛えています、と前回話しました。


この「センソリー」の進め方の詳細は少し長くなりますので、ポイントを押えながら流れを見ていきましょう。




まずは「モーニングカップ」です。

ただ、前回も述べたように、ペットボトルなど日頃よく飲む飲み物とその器で結構です。

これを五感を使って再現する訓練が「センソリー」です。



再現ですので、当然「無対象」で行ないますが、改めてカップの形や重さ、そして中身の飲み物の香りなどを実際の物で「五感」を通して確認していきます。

この本物での確認は、普通に触れたり見たりするのではなく、使う五感全てを通して「五感で記憶するつもり」で行なうのです。



そして、次に無対象でやってみます。

すると最初はどうしても所謂人に見せることを意識したようなパントマイム風の動きになったり、日常で扱うように普通に扱ってしまう事が多いのです。


つまり、カップといった対象を「既に知っている」ところからスタートしてしまっているために、新鮮に感じられないのです。


ですから、初めて見るように(と言っても難しいとは思いますが)扱う努力が必要になります。




具体的にどうするか?


例えば指先でカップの上をなぞったとすると、指先に集中し、指先で思い出そうとしてみるのです。

そして、ほんの少しでも感じられたかな?と思ったらOKを出してあげるのです。


で、更に感じられるように続けて触れていくのです、そしてさっきより少しでも感じられたら又OKを出してあげるのです。




このように進めるうちにセンソリーを実践している人の意識が集中している箇所に集まってくるのです。


当然と言えば当然ですが、観ている側に伝わるほどに意識が集まるまでには少し時間が掛かります。


しかし、少し感じてOKを出す、ということを繰り返すうちに「クリエイティブな喜び」を感じ、再現をしている対象への興味が増幅するのです。


そして更に集中が深まる、といった具合にセンソリーは進められていくのです。





センソリーは「モーニングカップ」だけではなく、より広範囲(例えば空間)まで再現出来るように課題を変えていきます。




この「センソリー」というレッスンは最初、取っ付き難く、中々興味が持てない人がいますが、何度かやる内にコツが分り、面白くなって来ます。



少なくとも「飽きる」とか「退屈」とは無縁なレッスンです。



というか、私の知る限り「飽きたり」「退屈する」レッスンはありません。



特に・・・スタジオTAKIメソードにはね。

【2008/01/10 23:28】
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●No,20

想像の世界を真実の世界に 〜「五感」を鍛える

芝居の世界を知らない一般の人達が、演技というものをどのように考えているのか厳密には分かりませんが、少なくとも、「五感」を鍛えて想像の世界を作り出しているとは思っていないのではないでしょうか。



私が知る限りそうでした。

演技をひとつの表現とだけ捉え、どうしたら「それらしく」なるか、或いは見えるかということを探すことが稽古だと思っているようでした。



しかし、そんな表面的なことを「演技」と呼んでいる訳ではありません。


想像の世界であっても、本当の感情が動かなければ、観る人に感動を与えることは難しいでしょう。


だからこそ「五感」を鍛える必要があるんです。



何故なら、感情を引き出すための「安全で確実な方法」は五感を通して行なわれるからです。


日頃みなさんは、感情が動く時、何かを感じた時、その直接の原因はどこから来ると思いますか?


誰かが自分に「ありがとう!」と言った時
誰かが自分に「バカヤロー!」と怒鳴った時
誰かが自分に「最低・・・・」と呟いた時

これらの言葉や表情は、自分の耳と目から入って来ますね。


つまり、誰かの「ありがとう」と言った「言葉」が耳に入り、そして相手の「喜びの表情」が自分の目に入り、暖かい気持ちになります。


嬉しい感情が湧き起こって来ますね。




つまり感情というのは、基本的に「五感」からの情報によって、その情報が自分にとってどういうものかを判断した結果起こるものなんです。


ということは、まず「五感」をこそ鍛えなければならないのではないか・・・という事なんです。


それ程に「五感の訓練」は重要なんです。





「メソード演技」をレッスンに取り入れている養成所などで、まるで「感情表現」をメインにしているかのようなカリキュラムを組んでいる所がありますが、五感の訓練との関係をしっかり説明出来ていなければ、「感情表現」に関するレッスンは、時に危険な状況を引き起こすことがあるのです。


また、逆に感情表現に関わるレッスンをあまり重視しないのも問題です。





ですから、「五感を鍛えて感情を引き出す方法」であれば、誰もが確実に身に付けることが出来るんです。


勿論(個人差があるとは言え)それなりに時間は掛かりますが・・・。





では、「五感を鍛える」とは具体的にどのようなことをやり、どのようにして想像の世界を創り、また感情を引き出すのか、というところに入って行きましょう。




「五感を鍛える方法」として、私の主宰する「スタジオTAKIメソード」では「センソリー(五感の記憶)」というレッスンを行なっています。


対象はなんでもいいんですが、出来るだけ日頃使っているようなものがいいと思います。

そこで、スタジオTAKIでは、「メソード演技」の伝統に従って(という訳でもないけど・・・)「モーニングカップ」を最初の課題としています。



さて、・・・何のことやら・・・ですね。初めての人は。


はい、失礼しました。


「モーニングカップ」とは、日頃みなさんが家で使っている、コーヒーやお茶を飲むための「器」のことです。(分っとるわい!!)


ですから、最近ではペットボトルもOKにしてます。要は、日頃よく手にし、よく飲む飲み物とその器を使うということです。

そしてそれを、なにもないところに想像で創り出すのです。


五感の記憶を頼りに再現するのです。


これが、最初に「センソリー(五感の記憶)」というレッスンで行なう最初の課題なんですね。






では次回、センソリー最初の課題「モーニングカップ」の進め方をお話します。


【2008/01/09 22:59】
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●No,19

「演じたい」という純粋な欲求〜想像の世界へ

今回から、具体的に「演技の方法」に入っていきます。

演技を学ぶ上で最も重要なこととはいったい何でしょうか?


それは・・・・・・「欲求」です。


当り前じゃないか!!

などと言わないで下さい。


私が言いたいのは、他人の評価を気をしたり、教師に気に入ってもらう事を考えてしまう人に対するアドバイスなのです。

役者を志す人は特に、自己顕示欲が強いと思われるので、良く思われようとして、自分がやってみたい事ではなく「こうしたら面白いと思われる」とか「すごいね!」と言われるなどと考えて演技をしたりするので、結局、本来向かうべき集中をせずに終わってしまうのです。


勿論分ります。色々と周りを気にするのも。

しかし、これが「自我」なんです。





以前お話したように、自分の傾向性が分った人は自分を客観視できるので、本当に没頭できるのです。

ですから、没頭できない自分を邪魔している「自我の中身」を見つける事が重要になってきます。

しかし、同時に、純粋な欲求として「演じたい」或いはキャラクターを「体験したい」といったものが必ずある筈なので、準備段階でしっかり集中する対象を見つけて置くことが大切なんです。





精神的に強くなることは重要ですが、同時に「具体的な準備」をしておかなければ、いざ本番となった時に、何に集中していいのかが分らなくなってしまいます。





純粋に「演じたい」といった欲求があったら、次に何が重要か?

当然の事ながら、演じるキャラクターに対して「一人の実在する人間」として興味を持つことが出来るるかどうかです。

つまり、キャラクターの考え方や、価値観を一時的に自分の中に取り込んでみたいといった欲求があるかどうかです。



言い換えれば、キャラクターの考え方や価値観などを自分の中に発見できるかどうかです。

意外とここで抵抗する人っているんですよね。


自分の価値観が邪魔するんです。

ま、自分がキャラクターに侵されるような感覚になるんでしょうね。



ただ、心配はいりません。


そもそも、完全にキャラクターに支配されてしまうようなやり方は、「TAKIメソード」にはないので。


ですから、安心してキャラクターの価値観に浸って下さい。

そしてそれを「面白がって」下さい。



「へー、こいつって、こんな風に世の中を見てるんだ!俺なら絶対、そんな考えは持たないけど。これはこれで面白い!」

・・・なんて具合にね。

つまり、キャラクターと友達になって、次第に自分の分身のようになっていくんですね。






では、自分とは違うキャラクターに興味が持てないと感じている場合、どのように演技の勉強を進めていけばいいのでしょうか?

こういう場合は、無理して自分とは全然違うタイプのキャラクターを演じようとしないで、まずは自分が経験した事のない状況に身を置いた場合、どうなるのか?という想像の世界を創って行けばいいのです。

そうすることで、少なくとも自分の違った側面を発見する事が出来ると思います。





ここでキャラクターについて申し上げたい事があります。

それは、キャラクターというものを特別な存在と考えないで欲しいということです。

つまり、人間は、時・人・場所で微妙にキャラクターを変えているものであって、一面しかない人間など存在しないと思います。

従って、自分が経験した事のない状況に自分を放り込むことによって、想像さえ出来なかった自分が現れる可能性も充分にあり得るのです。


そしてここから、更に違った価値観を持つキャラクターへと移行することもあるということです。







最後に・・・

役者(人間)とは、全てのキャラクターを有する存在なんです。

後は・・・

それを信じられるか・・・なんです。





次回は、想像の世界を真実の世界にするための方法についてお話したいと思います。



【2008/01/08 23:41】
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●No,18

なぜ、演技の勉強は必要か?

前回、最後が途中で切れたような表現になっていた事に気付き(なにせ目を擦りながらだったもので・・・)、更に文中に引っかかる表現を発見しましたので、本日(1月7日)15:30頃、加筆しました。





さて、本日から、「演技」について踏み込んでいきたいと思います。

題して「なぜ、演技の勉強は必要か?」



日本で、演技とは学ぶものだと思っている人は、というより現役の役者さんは、どれ位いるのでしょうか?


もちろん日本には数多くの演劇学校、劇団付属養成所、ワークショップがあります。

だから、必要だと思っている人は多いでしょう。

・・・と安直に思ってはいけないと感じています。


何故なら、私の言っている「演技」とは、脚本に書かれているキャラクターに生命を宿す事だからです。

だから、そんなことが出来るように指導している学校やワークショップが沢山あるとは思えないのです。

もし、沢山あるというなら何故、日本の演劇界、映画やテレビなどの映像の世界で活躍する役者に、良質な役者がいない、いや少ないのでしょうか?

それは、簡単なことです。



日本には、良質の役者を育てる場所が極めて少ないからです。

更に言うと、講師が極めて少ないからです。




では、アメリカは違うのか?


はい、違います。


少なくとも3週間という短い間でしたが、とても濃くて充実した体験をした私の感想を述べさせて頂くなら、ニューヨークで演技を学ぶ環境は違っています。

少なくとも、東京よりは・・・・・・。



もちろん、どんな場所であっても、その人次第で環境は変わるとは思います。

ですから、私は決して環境の所為にしている訳ではありません。



ただ、アメリカには「アクターズ・スタジオ」というところがあり、そこで多くの優秀な役者が生まれたことは事実です。

そしてもちろん、名優と呼ばれる役者たちは、一般的な役者とは違うでしょう。



ただし、「特別な才能がある」のでは、決してありません。

断じて、ありません!



そう思う人がいるのは理解できるし、事実私も若い頃はそんな風に思っていた一人であります。

しかし、そうではないんです。



目標、こだわり、何かを獲得しようとするエネルギー・・・などなど。
これらの違いがあるだけで、才能そのものとは関係ないんです。


しかし!


この、目標やこだわりといった面で確かに「違い」があることは事実です。


今ひとつぱっとしない(売れていないといった意味ではない)役者は、こうした、目的意識が薄かったり、人の評価ばかり気にしていたりして、肝心なところにエネルギーを注ぎ込もうとしないことが多いのです。




だからこそ、演技を学ぶ場所が必要なのです。




例えばアル・パチーノなどは、若い頃から普通ではなかったようです。

アクターズ・スタジオで場面を演じる時でも、いろんな場面やキャラクターをやってみるのではなく、納得できるまで何度も何度も同じ場面をしつこい位、演じる事にチャレンジしたと聞いたことがあります。


周りがどう思うとか、そんなことはお構いなしだったのではなかったのではないかと思います。


その辺からして既に、ある意味、自分を捨ててますよね。

自分を客観視出来ているかは別にして、演じる事に対して真摯で、積極的ですよね。

だからこそ、どうしたら想像の世界に入ればいいのかといった悩みはなかったと思います。



自然と興味を持っていたから。



しかし、ここなんです!

簡単じゃないところは!!




世間の常識に縛られている人をそこまで導く事こそ「演技指導」であり、それを学ぶ場所が演技の学校やワークショップなんです。





ですから、演技の勉強は、想像の世界を「本当に」創り出すことを学ぶ事なんですが、問題は、そのために通らなければならない関門がどれほどあるかなんです。


それは当然個人差があります。


しかし、挫けてはいけません。




諦めないことです。







純粋に、演じたいという欲求があるなら、

そこには・・・才能があるのだから。


【2008/01/07 23:58】
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●No,17

個性の輝きとは

前回の話から、「個性」というものを薄く感じる人もいらっしゃるかも知れないので、ここで「個性」についてお話したいと思います。



個性を大切にする人の中には、いや、大切にというよりも、主張する人と言った方がいいのかも知れませんが、そういう人の中には個性と「自我(エゴ)」を混同していると思える人がいるように思えます。



ある人の個性が素晴らしいと言える為には、少なくともその人が、自分自身を客観視出来ていなければいけません。

何故なら、自分のことが(自分の良さが)分っていなければならないからです。

自分の魅力というものは、自分を客観視出来て初めて分る事なんです。




中には自信過剰の人がいて、「俺ってスゲー!」「私って綺麗!!」などと思って、実際それを主張している人もいると思います。もちろん、表向きはそのように振舞わずに。

しかし、所詮自我の強い人の個性は、他の(自我の強い)個性とぶつかり合ってしまって、お世辞にも、美しいと言えるハーモニーは創られることはないでしょうね。




そもそも芝居に限らず、どの世界も、様々な個性を活かさない限り、充分な結果は生まれないと思うのです。

どの世界であっても、主張ばかりする人が多いところは、当然まとまりがなく、仕事もいい結果がでるとは到底思えません。


やはり、多くの、特に芸術・芸能関係の人たちは「個性」を取り違えているのではないかと思うのです。



「個性」の素晴らしさは、やはり素直になって自分を客観的に見つめる事の出来る人でなければ見つけることは出来ないと思います。



例えば、美しくて広い庭園をイメージしてみて下さい。

そこには、いく種類の植物、花たちがいますか?


そして、それらはそれぞれに美しく、全体として見ると、それぞれとは違った、調和された美しさを放ってはいないでしょうか。


もし、そのように観る事が出来たのなら、それこそが「個性」と「調和」を兼ね備えた「美しさ」であると言えるのです。




今の例えで「自我」を個性と捉えている話をしましょう。

例えば、庭園の中に、様々な種類の花を植えた花壇があったとしましょう。

その中に赤いバラが咲いていたとします。
そのバラがもし周りに対して、「お前ら目立つんじゃねーぞ!俺様を引き立たせろ!でなきゃ、俺と同じ赤いバラになれ!!!」と言っているとしたらどうですか?

そこには色々な花々が奏でるハーモニーがある筈なのに、赤いバラばかり目立ってしまい、面白みがなくなるように感じる筈です。



ですから言っているんです。
本当の個性の輝きは、「全体の中の個性」にこそあって、自己主張ばかりする人に、本来の個性の素晴らしさは分らないでしょう。


「個性」とは、その個性があること自体で素晴らしいのです。

ですから、ことさらに個性を主張する必要性はなくなり、「全体の中の個性」であることが「個性の輝き」となるのです。



そうなるためには、より自分を知る事が必要であり、そして「感情のチェック」により「自分の心の傾向性」を見付けることが重要となるのです。





*文中に「赤いバラだけが目立っても意味がない」と受け取れる内容がありますが、ここでは、様々な個性の輝きが創り出すハーモニーの話をしているのであって、決して「赤いバラや、一種類だけの花壇などを否定しているわけではありません。

【2008/01/06 23:55】
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●No,16

感情のコントロール5 〜他人への興味

「心の傾向性」から「他人への興味」へと移行するという話で前回は終わりました。


ここで誤解の無いよう申し上げておきたいのですが、前回までのように「感情のチェック」をしていかないと他者に対して興味が沸かないと言っているのでは決してありません。


他人への興味はどんな人にもある筈です。

それを否定するつもりはありません。


しかし。


どんな人に対しても興味がありますか? 

知りたいですか?



誰でも人に対して興味は持てるものだと言っても、その人の興味(好み)の範囲を超えるものではないと思います。


ですから私が言いたいのは、放っておいても自然と興味を持つ人のことではなく、およそ自分の中には見付け難いと思われる考え方をするような人に興味が持てるかということです。

例えば自分をいつも苛々させるような人に興味を持つ事ができますか?

ある意味「気になる存在」にはなるでしょうけど、決して「あいつの考え方を理解したい」とは思えないでしょう。




そうです。私が言いたいのは、より多くの人間を、そしてその価値観を理解し、自分の器を大きくしましょうという事なんです。


ただし、ここで原点に戻らなければなりません。

つまり、「欲求」があるかどうかです。


私は決して「器を大きくする事」を押し付けている訳ではないんです。

そうなりたくなければ、それでいいんです。



要するに、多くの人(の価値観)を理解したいと思っている人は、それだけ「自我」を取り去る必要があるということなんです。






感情のチェックを通して、

自分の心の傾向性を発見し、

自分の面白さを発見すると、

自然と他者への興味へと移行せざるを得ないのです。




つまり、

「自分という個性」の本当の魅力に気付くことによって初めて、

「自分以外の個性」に対する興味が湧いてくるということなんです。

例え今までは「信じられない!」と思っていたようなタイプであっても・・・

というより、今まで敬遠していただけに、「む・し・ろ」そうしたタイプの人の方に興味を持つことがあると言っても過言ではありません。




「心の傾向性」という表現をしているので分かりにくいと思いますが、別の言い方をすると、「人間が社会の中で生きていく上で、他人から自分を守っている考え方や態度、行動のパターン、或いはそのように創られたキャラクターとしての自分」のことを言います。


う・・・ん、別の言い方でも、たいして変化はないですかね・・・。



ま、そういう訳で、「素」の自分(オープンな自分)に出会って初めて

「自分という個性」を知り、そして、

「他人という個性」を知りたくなる。

ということが言いたいのです。







次回は、「個性の輝き」についてお話したいと思います。


【2008/01/05 23:45】
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●No,15

感情のコントロール4 〜心の傾向性

今回は「心の傾向性」が自分にどんな変化をもたらすか、についてお話していきます。


前回、「心の傾向性」が分った段階というのは、冷静に自分を見つめる事が出来た結果だと述べましたが、この時点でようやく自分の面白さが分るようになるんです。



「自分の面白さ」とは何か?



「自分の魅力」と言ってもいいかも知れません。

ただ、まだこの時点では「魅力」というには遠いかも・・・。



しかし、少なくとも自分の事を冷静に見てみることによって、本当の自分の良さも見えてくるようになるんです。

それは既に述べたように、「自分の心の中にある欲求」を受け入れる事によって冷静に自分を見る事が出来るようになり、それまでは認めたくもなかった「自分の悪い所」も、そうでない所もすべて「傾向性」という見方が出来るようになるんです。


ですから、素直に自分の良いところも見えてくるようになる、という訳なんです。


ただし、良い所も悪い所もすべて「心の傾向性」と言いましたが、それは「悪い所」と思える部分も目を瞑るようになるという事ではないので誤解はしないで下さい。


私は、「悪い」と思うことが「感情的に」ではなく、「悪しき傾向性」があるんだと冷静に捉えられる事が大切だと言いたいんです。



人は、自分に悪い所があると分ると、必要以上に否定したがるところがあります。

素直ではない、感情に振り回される人に多く見受けられます。

何故かというと、他人から悪く見られたくないからです。


ですから、それを一旦認め、受け入れる事が出来たなら、今度は冷静に自分の「悪い」と思っている部分に目がいくようになる訳なんです。

受け入れたからって、「悪しき傾向性」そのものは完全に消えたわけではないので、「冷静になって、傾向性を見つめる」ということは、寧ろ必要なのです。



ここがポイントなのですが、

冷静になって「悪しき傾向性」を見つめていると、自然とそんな自分を変えたいなと思うようになっていくんです。

何故かというと、客観的に自分を見ていることになるので、まるで他人のことを見るような気持ちで自分のことを見るからなんです。



「ああ、俺ってあんなこと言われると、こんなに腹が立つのか。でも、あの程度のことで苛立っている俺って、何かちっちゃいなぁ。」


なんて具合に、素直な気持ちで見れちゃう訳です。





そういう訳で、「心の傾向性」が見えてくると自分の心の中に様々な欲求が見えてきて、それに対して、素直な気持ちで良い所も悪い所も受け入れる事が出来、自分がなりたい方向に自分自身の力で仕向ける事が出来るようになるのです。



そうなってくると、益々「自己探求」への意欲が増すことになるんです。

そしてそれが、「他者への興味」へと向かう道なのです。


【2008/01/04 01:25】
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●No,14

感情のコントロール3 〜認め、そして受け入れるということ

前回は、沸き起こった自分の感情をチェックすることで、「心の傾向性」を発見するというお話をしました。


今回は、前回言い忘れてたことをお話します。




チェックする感情にもよるのですが、

「心の中の欲求」に気付き、
「心の傾向性」を発見する

この2行の間にもうひとつ「やらなければならない事」があるんです。



それは、「認め」、更に「受け入れること」です。

何の事かというと、


例えば、私が経験した事なんですが、ある人の言葉を聞いた時に、何か引っかかりを感じたことがありました。
ちなみに、その人は私にとって友人であり、その言葉というのも、ある事をただ教えてくれただけだったんです。
しかし、なんかモヤモヤしたんですね。


ここで当然「感情のチェック」をします。

つまりチェックするのは「引っかかり」です。

すると、私としては、とんでもなくショックなことが分ったんです。



それは、その友人の教えてくれた内容を「その友人が」教えてくれた事にプライドが傷付いていたんです。

つまり、「なんでおまえに教えられてんの、俺!」といった感じです。

これは相当ショックでした。



このときの「心の中の欲求」は、「お前に教えられたくない」です。
つまり、その友人を下に見ていたんですね。


実はこれを認めたくなかったんです。
更に、受け入れたくなかったんです。


何故かというと、
「俺って、まだこんなつまんないプライドがあったんだ!」
と思うと苦しくて仕方なかったからです。

つまり、もう少し成長していると思っていたんですね。



でも、しばらく苦しんでから、諦めました。

あるものはあるんだから、しょうがないじゃん!


そしたら、突然軽くなったんです。

いや、ホントに驚くほどに。

そして、「引っかかり」はスッキリとなくなっていました。



このケースで、私は「認める」と「受け入れる」を一気にやってしまったので問題はなかったのですが、時には、「認めた」けど、「受け入れられてないこと」が原因で感情は治まらないというケースもあるんです。

この場合、よく言われるのが「認めたのに、なんかスッキリしないんです」という言葉です。


で、よくよく話を聞いてみると、「認めた」とは言ってますが、

「他人事のように」認めたのであって、自分のことだとは思いたくはない状態だったのです。



つまり、「認めるよ、認める。で?どうすればいいの?」みたいな感じで、形式的にといいますか、頭で理解しただけといいますか、とにかく本当の意味で認めてはいない、つまり、受け入れていないという事なんです。

認めているつもりでも、受け入れていない人というのは、所謂「認めたフリ」をして誤魔化しているだけなんです。つまり、無意識に抵抗しているという事なんですね。


では、この「受け入れる」という状態にもって行くためにはどうすればいいのか?


それは、単純です。



「実際、そうなんだから。しょうがないじゃん。」

と言い放ってしまうことなんです。(勿論、声に出さなくてもいいですけど・・・)

私の時のようにね。




な〜んだ、そんな簡単なことか!

と、思われるかも知れませんが、感情が揺れ動いている時に行なうことなので、意外と難しいんです。



もし、中々そんな風に持っていけなかったら、受け入れようとしない自分に向かって問い掛けてみればいいんです。

この時は感情的に問い掛けても構いません。感情が揺れ動いている自分の反対側にいる自分なので、感情的になる事は問題ではない筈です。むしろ打ち消しあう形になると思います。




「何が問題なの?」
「そんなにおまえって偉かったの?」
「成長してると思ってたって言ってるけど、全然成長してないとでも思ってるの?」
「そんなことで揺れてるおまえって、もう駄目なの?お終いなの?」


こんな風に自分に言っている内に、不思議と冷静になって行くもんなんです。

そして、自然と「あるんだから、しょうがないじゃん。」と思ってます。





要は、今の「あるがままの自分」に「OK!」を出してあげることなんです。


これが大切なんです。





ホント人間て、プライドが高くて、他人の目を気にして、「素」の自分を見せる事を怖がることが多いですよね。

だから、キャラクターになったり、つまり、弱い自分を知られたくなくて強がるような、そんな鎧を着ることで人と接する事が、やっと出来るなんて寂しすぎますよね。





ま、そういうことで、受け入れてスッキリしたところでようやく「心の傾向性」が見えてくる訳なんです。

つまり、「心の傾向性」は、感情が落ち着き冷静になった状態じゃないと、見えてこないという事です。







では、次回は「心の傾向性」が自分にどんな変化をもたらすのか、といったことを述べていきたいと思います。




【2008/01/03 04:45】
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●No,13

感情のコントロール2 〜自分の感情を捉える

前回は、感情が揺れる事を不快に思い、そしてその状態から脱したいと思うことが「感情のチェック」をするための前提であるということを述べました。

つまり、何事もそうですが、欲求がなければ人間は本気で取り組もうとはしないものです。


だからこそ、「感情が揺れている状態から脱したい」という「欲求」が必要になるのです。




次に、揺れ動いている(或いは揺れ動いていた)感情の「直接原因」を明確にします。

「直接原因」なんて難しい事言ってますが、要は、感情が揺れ動いたきっかけの事です。


例えば、「あいつが**と言った時、意地悪な表情をしていた」とか「言い方が冷たい」とか、「そもそもひどい事を言っている」だったりします。


こうした直接の原因が何故かを自分に問うてみて下さい。


「何故、あいつの意地悪な表情に腹が立ったんだろう?」
「何故、あいつの言い方が冷たい事が腹立つのか?」
「何故、あいつの言った内容に傷付いたんだろうか?」

といった具合にです。



そうすると自然とその理由が見えてきます。



そもそも負の感情は、自分が「何かを求めていることの逆」の状況に陥った時に沸き起こるものです。

当然ですよね?そうなって欲しい状況でそうなった場合、負の感情が起こるはずはありません。


つまり、「あいつにはあんな事を言われたくなかった」などのように、なにかを求めている事とは反対のことを言われたり、されたりした時に負の感情は起きるのです。



という事はつまり、逆に「何を求めて」いたのかという事です。




心の中にある欲求です。




例えば、相手からの褒め言葉だったり、態度だったりします。


実は、意外とここが分からない事があるのです。

確かに、こんな風に例えを挙げれば分りやすいのですが、実際に自分の身に起きた出来事によって引き起こされた感情を扱う段階になると、さっとは進めないのが現実です。


しかし、ここは慎重に、しかもじっくりと時間を掛けてやった方がいいんです。




ここまででも出来るようになると、自分の「心の傾向性」が見えてきます。




自分はどんな状況の時にどんな感情が起こるのかが分かるという事は、

「自分がいったい何をしたいのか」
「自分はいったいどうしたいのか」

が次第に分ってくるのです。



人間て、意外と自分のことって分かっているようで分かっていないんです。

感情のチェックを進めていくと本当にそう感じます。






まだこれで感情のチェックについて終わった訳ではありませんが、本日はここまでにします。



【2008/01/02 01:37】
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●No,12

感情のコントロール

明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願い致します。
本年は、「自分の感情」と「演技」をどのように結びつけていけばいいのかといったことも述べていくつもりです。



ところで本日のタイトルですが、感情のコントロールと聞くと、「マインドコントロール」のような印象を受ける人もいるかと思いますが、少なくとも私の述べる感情のコントロールは、何かの思想を教え込ませて、それに従わせるような、そしてそうしないと危険だとか、或いは、いやな出来事を忘れるように仕向けるような事ではありません。




感情をコントロールするためには、まず感情のチェックをしなければならないのです。



自らの感情をチェックすることです。


何故か?   ・・・・と聞く前に。


以前このブログでも述べましたが、

自分の感情が揺れ動いている状態って、厭じゃないですか?

少なくとも、そのように自分の感情が揺れている状態から脱したいと思わなければ、

感情のチェックは始まりません。


従って、まずは例えばこの1週間、或いは1ヶ月の間になにか傷付くような、または腹が立つような出来事がなかったかを思い出してみて下さい。

そして、特に激しく感情が揺れるような事がなかったとしても、「なんか引っかかる」感じがあることがあれば、それもチェックの対象になります。
つまり、「モヤモヤ」していて、すっきりしない事ってありますよね?そういう時です。



思い出してみると、どんな感じでしょうか?

当然、扱っている感情が「負(マイナス)」の感情なので、単純に嫌な出来事を思い出すことに不快になると思います。




ちなみに、チェックする感情は「感情」と呼べるもの全てなので、「正(プラス)」の感情も扱うのですが、最初は混乱を避けるために負の感情のみチェック対象とします。




感情によって不快な状態に感じたのであれば、普通はこの状態から脱け出したいと思いますよね。


そういった気持ちになったら、ようやく感情をチェック出来る状態になれたという事になります。



これが感情のチェックを始めるための姿勢なのです。



私は、癖になってしまっているので、常にチェックをしてしまいますが、最初の内は、大きく感情が揺れた時でも、その瞬間は感情でイッパイになっていると思うので、後でチェックをすればいいと思います。

でも、出来るだけ時間が経過しないうちの方が良いと思います。

勿論内容にもよりますが、感情がそれ程激しく揺れなかった場合、どうでもよくなってしまって、忘れてしまい、思い出そうとしても思い出せないといった事になる可能性があるからです。




本日最後に申し上げておきたい事は、この感情をチェックするというのは、決して感情を動かなくする事ではないということです。


【2008/01/01 18:19】
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瀧 將剛
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    「感情」についてあらゆる角度から見つめ、そしてより多くの人達が、「感情」に振り回されずに日々暮らせるようにお手伝いをさせて頂くためと、「演技」についてのブログです。
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  • ワークショップ「スタジオTAKIメソード」にて役者を指導しております。詳細は「リンク」からホームページに入って御覧下さい。

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