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●No,37
なぜ「感情のチェック」をレッスンのベースにしているのか
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「スタジオTAKIメソード」では、「感情のチェック」をベースに、他のレッスンの課題に取り組んでます。
やり方そのものは「メソード演技」から頂いてはいますが、内容的には全て「感情のチェック」の進み具合が影響するようになっているのです。 では、なぜTAKIメソードのベースが「感情のチェック」なのか? 例えばセンソリーなどで、集中力に問題なく、やり方など方向性にも問題がなくても、ギャラリーを気にしたり講師の評価を気にしたりすることで、意識は集中すべき対象から逸れてしまいます。 そして、その状態とは、つまり、他人の目を気にしている状態とは、他人の自分に対する評価を気にしている訳で、これは「自我」によるものなんです。 なぜなら「みんなはどう感じるだろう」などと、集中することよりも外側に意識がいっているということは、ある種の「恐れ」であり、これは「感情のブレ」以外の何ものでもないからです。 自分は人から良く見られたい! 認めてもらいたい! といった欲求があるからであり。 つまり、「自我」が原因なのです。 そもそも「感情の揺れ」の原因は「自我」の存在なので、その自我を発見することがレッスンで行なわれているという訳です。 そして、日常生活の中で「感情のチェック」が習慣になっていれば、自分の中に潜む「自我」が、つまり感情の源が見えてきて、本来の集中すべき方向に意識を向け易くなるのです。 ですから、充分に「感情のチェック」が行なわれていないと、周囲を気にするという「感情のブレ」が集中の妨げになってしまうのです。 |
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●No,31
真に没頭するということは冷静であるということ
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私が「感情のチェック」を勧めている理由は、(自分の僅かな感情を捉えるレベルまで)客観的な目を養うためであり、自分の感情をコントロールすることが出来るようになるためです。
そうなれば、自然と「自分を冷静に観察しているもうひとりの自分」が現れます。 そういう状態で演技に没頭した場合、客観視している自分は当然冷静に集中している訳です。 つまり、集中している状態とは「至って冷静な状態」である訳なんです。 レッスンでも、生徒達がよく誤解しているところが、ここのところなんです。 演じる時など、最初から客観的になろうとして自分の状態を常に「こうかな?こんな感じでいいかな?」といった具合に、外側から確認するかのように集中を始めるので、どうしても「冷めた役者がそこにいる」ようにしか見えないんです。 しかし、私が「冷静に」と言っているのは、ただ単に「冷めなさい」ということではなく「没頭している状態を捉えている自分が必要だ」と言っているんです。 ですから、没頭する事が大切なんです。 しかし、「没頭する」というと、今度はまた「気合」や「力」を入れることのように捉える人が出て来るのですが、これも違います。 集中とは、あくまでも「淡々と」行なうことなんです。 演技でいうと「淡々と五感で捉えていることに集中する」ことなんです。 そうすることで「没頭している状態」、キャラクターの世界に「没入する」ことが出来るのです。 そして、没入して初めて客観視する自分が現れるのです。 ですから、最初からそれを意識してはならないんです。 というか、意識できない筈なんです。 そうすれば、寧ろ没頭出来なくなってしまいます。 人目を気にしている事と、自分を冷静に見る事を混同してはいけません。 もし最初から客観的な自分を意識して、想像の世界に自分をつれて行こうとした場合、どうしても「出来ているかどうか」の確認をしてしまうんです。 というのも、そもそも客観的な自分が初めからいる事自体が問題なんです。 客観的な自分がいるということは、自分で自分のやる事を最初から捉えておきたい、知っていたい、確認したい、といった所謂「他人からどう見えるか」を気にしているのと同じ状態になっている訳です。 そうなると当然、外側からどう見えるかを気にしながら、自分をコントロールしてしまうので、没入出来なくなってしまうのです。 更に問題なのは、このように没入出来ない自分を、「つもり」で演じている自分を「出来ている」と勘違いしてしまっていることです。 この状態で演じる事を「リザルト(result=結果、効果)演技」と言います。 リザルト演技、つまり効果を狙った演技というのは「説明しているように分かりやすい演技」であって、内面に感情があるなしに重点を置いていない演技のことです。 顔や身振りなど、「外側」だけでしか演技していないんじゃないかと思える役者って・・・いますよね? ・・・プロでも。 だから私は言いたいんです。 「感情のチェック」や「メソード演技」など、しっかりした方法論に則った演技の勉強は必要だと! |
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●No,30
役者個人の問題が役作りに与える影響
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レッスンでのことです。
彼(生徒A)は昔、付き合っていた彼女の事を、既に好きではなくなっているにも関わらず、好きだと思われるような態度をとったり、言ったりしていました。 その頃の自分のことを「ひどい奴」と、Aさん自身は言っていました。 Aさんが今レッスン(基本クラス)で行なっている「11の課題」は「キャラクターの電話」です。 相手に対して、一番言いたいが絶対言いたくないといった矛盾する感情を持った「言葉」を見付け「電話」で相手にぶつけるのです。 この「言葉」を「墓場まで持っていく言葉」とも表現しています。 なぜなら、とっても言いたい衝動があるという事は、ずっと抱えているということになる訳ですが、その言葉は相手と自分の関係を考えるととても言えない内容なので本来は(現実では)結果的に言えないで終わってしまうような言葉だからです。 ・・・忘れる事も出来ず、死ぬまで抱えているという事ですね。 しかし、今回は「キャラクター」です。 自分自身ではないので、実在の人物を扱っているとはいえ想像の世界ということになります。 しかし、だからと言って簡単な訳でもないんです。 ・・・いろいろな意味で。 Aさんは、この「キャラクターの電話」の前の課題である「キャラクターのプライベート・モーメント」で、まずキャラクターに俳優のY氏を選び、そして、「プライベート・モーメント」の場面に、分かれた妻が手紙一枚置いて出て行った後の家に帰って来た直後、というのを設定しました。 で、続く「キャラクターの電話」で、出て行った妻に電話をすることにしました。 ここで、ある問題が浮上したのです。 Aさんが考えるキャラクターは、電話で妻に対して責める言葉を発すると考えていたところ、どうしても言えないのです。 思いはあるのにです。 しかし何故か、責める言葉を発しようとすると「彼女だけが悪い訳ではないだろ。お前にも非があるだろ?」といった思いが出てくるというのです。 そして見えてきたことは、冒頭に述べたAさんの、昔付き合っていた彼女のことが原因だということです。 Aさんは、過去の自分のことを「ひどい奴だ」とは思っているのですが、心の底からそうは思っていないのです。 というか、思いたくないのです。 いい人間だと思いたいから。そして、思われたいから。 実は、Aさんは「リラクゼーション2」で、この事を扱っているのですが、その中で、彼女に対して、当時、本当に言いたかった言葉を見付けられていないんです。 何故かというと、見付けてしまったら、「やっぱり本当に俺はひどい奴だったんだ」ということを「実感」させられてしまうからなんです。 「リラクゼーション2」では、言葉を相手にぶつけなければならないから・・・。 その所為で、「キャラクターの電話」では、キャラクターが電話の相手である妻に対して、責める言葉を吐こうしているのに「ひどい人だと思われたくない」「いい人だと思われたいし、自分でもそう思っていたい自分」が邪魔してしまうんです。 こういった事例でも分るように、自分自身(役者自身)が過去の様々な問題をクリアして、透明になっていかないとキャラクターへの移行に支障が出ていしまうという事です。 多くの役者さんが、一日も早く「楽器(心身)の開放」と共に「感情を安定される」ことを心より祈る次第です。 |
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●No,28
「感情のチェック」〜キャラクターへ
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「感情のチェック」からどういった経路を辿ってキャラクターに到達するのかを述べます。
まず最初に簡単に流れを説明します。 まず、自分の感情をチェック(をベースにレッスンに参加)することによって、「自分の傾向性」が見えて来ます。 これはつまり、自分の心の奥にある「欲求」あるいは「必要としているもの」を発見することになります。(と言ってもまだ自我があります) この時点で、自分のあらゆる言動や行動、反応がこの「欲求」あるいは「必要としているもの」が原因となっていることが確認できます。 この状態になった役者が、あるキャラクターを演じる場合(勿論、純粋にそのキャラを演じたいといった欲求があることが前提ですが) そのキャラクターがどんな場面で何をしたがっているのかを理解すれば、 つまり、キャラクターの「欲求」や「状態」、単に「感情」と言ってもいいですが、 それらを理解する事が出来たなら、後は自分の中から、キャラクターのその状態に近いものを「自分の経験」から探し出し、それをキャラクターとして「感覚のみ」使えばいいのです。 ・・・・・・やっぱり、文章では伝えられそうもないですねぇ。 実は、撮影を控えた生徒の仕事のアドバイスもしているのですが、如何に集中する事を「明確」にし、更に「シンプル」にするか、そして五感を使えているかが重要だということを改めて痛感しています。 でも、それを文章には、・・・中々出来ないですね。 うん・・・難しいです。 レッスンは、「百聞は一見に如かず」というか「一体験に如かず」と考えて頂けるとありがたいですね。 レッスン内容は、稽古場で知って頂くとして、次回からは改めて「感情」について踏み込んでいきましょう。 |
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●No,27
演技に於ける「集中」と「準備」について
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「集中」と「準備」についてお話したいと思います。
よく「集中が続かなかった」とか「集中が途切れた」などと言いますが、演技中に於ける集中とはいったい何でしょうか? 「相手の声」でしょうか? 「自分の感情」でしょうか? それとも「自分が言うべきセリフ」でしょうか? 確かに、どれも無視は出来ません。 「相手の声」を聞かないと自分は反応出来ませんし、「自分の感情」が必要なだけ来ているかどうかは重要ですし、「自分のセリフ」を聞く様にしなければ、表現に繋がらない可能性が出てきます。(もっとも、即興の場合は別ですが) 演技中に気にしなければならない事は色々ありますが、敢えて「集中」する対象と考えるなら、それは「具体的なもの」です。 つまり、「五感」で捉えられるものであり、シンプルなものです。複雑なものだと集中が定まらなかったりし、五感による実感が伴わないことになり兼ねないからです。 では、次に「具体的な集中」について詳しく述べていきたいと思います。例えば、“単身赴任した妻子ある男性が、妻子を残して、初めて行く土地でアパートに着いて、家族に電話を掛ける”といった設定のシーンを演じるとします。 そしてセリフも決まっているとします。(即興ではないという意味) こういう場合、事前に準備しておく事と、演技中に集中する事とは違うんです。 準備する内容は、台本に書かれている内容を元に作る人物の背景です。 つまり、その場所にいる理由だったり、家族との関係だったりします。 ちなみに、「家族」というのは「関係」というには大雑把過ぎます。 「関係」とは、自分(キャラクター)が相手の事をどう思っているのか、そして相手は自分のことをどう思っていると、自分は思っているのかという事を言います。 こういった「関係」や単身赴任自体をどう思っているのか、そして赴任先の土地の事をどう感じているのかという事を具体的にしていきます。 そして具体的にした背景を五感で作っていく、といった作業が準備です。 そして演じながら実感が持てないなと感じるところがあったら、その部分を更に作っていくんです。 そうする事で準備が整っていきます。 ただ、背景を作る段階でとても重要なことがあります。 背景を五感で作る訳ですから、当然感情が引き出されます。 つまり、何らかの「感情的な」動きが内面に起きて初めて「準備が整った」と言えるのです。 そして、演じる時に集中することは「準備したこと」を全く意識せずに、具体的にその場で「見えるもの」「聞こえる音」「触れるもの」など五感を通して得られる存在に対してのみ行ないます。 又は、何かを考えていたり、思い出している場合は、考えている内容や思い出している事柄の中の具体的な対象に対して五感で捉え、集中していく事になります。 その結果、事前に準備したものが、必要に応じて(感情として)引き出されていくのです。 |



minorin(08/03)
瀧(01/09)
sayuri(01/07)